トマトが嫌いな女

昔からトマトは嫌いだった。

母親の作る料理に入っていたトマトは、いつも食べることができずに残していた。

出された料理のトマトに一向に箸をつけない私を見て、母は不思議そうに言う。

「トマト食べないの? 甘くて美味しいのに」

「あんまり好きじゃなくて。ごめんね。あとケーキ、冷蔵庫に入れておいて。明日食べるから。ごちそうさま」

せっかく私のために母が料理を作ってくれたのに、申し訳ないなという罪悪感を少しだけ抱きながら、食べ終えたお茶碗の上に箸を置き、私は自分の部屋へと戻る。

 

階段を上り自分の部屋の扉を開けた私は、壁の電気のスイッチを押し、明かりをつけた。

カチッという音と共に視界は一瞬だけ白くなると、すぐに部屋一面が明るく照らされる。

「はぁ……」

ため息をつきながら私は、ベッドの上へと腰を掛け、読みかけだった本を手に取り、読み進める。

しばらく本に夢中になっていると、突然『ティロン♪』と気の抜けたどこか可愛い音が、ベッドの横で充電されたままになっている5.5インチのスマートフォンから鳴った。

私はその音が何を知らせる通知なのか、また誰からの通知なのかは、おおよその察しがついていた。

天井に向けて通知画面を表示したまま横たわっているスマートフォンを眺めながら、私は手に取るかどうか迷っていた。しばらくして、ようやく覚悟を決め、繋げられていた充電ケーブルをスマートフォンから外し、手に持った画面を見つめる。

『年明けたらさ、初詣に行かない?2人でさ』

5.5インチのスマートフォンの画面の中には、1つのメッセージアプリの通知が映し出されていた。

「初詣……ね」

 

12月24日。街は煌びやかな飾り付けが行われ、陽気な音楽が流れるクリスマスの前日。

私は、数年間付き合っている彼氏と、別れようとしていた。

 

「だからこの前、コメントして。『テトリスの配信なんて誰も見ないだろ』って。そしたらそいつ、いきなりキレ出してさ!」

私は店員が運んできたコーヒーを飲みながら座っていると、近くの席に座っている男の客がスマートフォンを耳に当て、大声で話をしているのが聞こえてきた。

最初は小さい声で話をしていたような気がするが、男は相手と話が盛り上がってきたのか、徐々に声の大きさは増していき、やがて店内に響き渡るほどの大きな声となって、耳障りな雑音へと変わっていった。

ただ私が気にしすぎているだけなのかもと思い、周りを見渡してみると、その場にいた客たちも迷惑そうに大声で電話をしている男に向けて、「不快だ」という意思表示を示していたので、この場にいる人間の気持ちは、みな私と同じなのだなと思いながら、手に持ったコーヒーカップに口を付けた。

「喫茶店で、気持ちの整理をしようとしたのが間違いだったかな……」

来る場所と、タイミングを間違えたかもと思っていると、先ほど私にコーヒーを運んできた茶色の髪の毛をした店員が、大声で電話をしている男のもとへと向かっていくのが目に入った。

店員は大声でゲラゲラと電話をしている男の横に立つと、男に聞こえるように言う。

「うるせぇから店から出ていけよ」

電話をしている男は、それでも電話を耳から離さず、店員へと言い返す。

「あぁ? うるせぇ?」

一瞬で凍り付く店内の空気。居心地を悪そうにしている周りのお客さんたち。私はふと「間違えて、日本一接客態度の悪いお店にでも来てしまったのか」と思ったが、今日はクリスマス当日の昼間で、ここは何の変哲もないただの喫茶店だったことを思い出し、すぐさま我に返る。

とても店員とは思えない言葉に少しだけ驚いたのか、先ほどまで大声で電話をしていた男はようやく電話を切り、「何がうるせぇだ!」と茶色の髪の毛をした店員に向けて怒声を浴びせていた。

「だめだめ。私には関係ないし、気にしないようにしないと……」

私は小さく呟きながら静かに深呼吸をし、手に持っていたコーヒーカップに再び口を付けて、コーヒーを飲んだ。

 

そういえば私がまだ幼稚園の頃に、「みんなで野菜を育てましょう」という授業が行われたことがあった。

この授業において、野菜を育てる目的や意味は全く覚えていない。命の大切さや何かを育てていくという大変さを、幼稚園児ながらにして知るためだったような気もする。ただ私はそこで、プチトマトの栽培をしたということだけは、はっきりと覚えていた。

 

園舎のすぐそばにある小さな畑の中で、先生と一緒にプチトマトの苗を植え、支柱を立てたあと、コツコツと毎日水やりを続けては、少しずつ成長していくのを見守る。やがてみずみずしく、プリっと小さく丸みを帯びたプチトマトをみんなで収穫し、先生の手で何個ずつか小さなカゴへと分け入れられ、それを1人1人が受け取り食べていく。

「はい、どうぞ! プチトマトさん、元気に育ってよかったね!」

先生から笑顔で渡されたプチトマトのカゴを手に取り、1つだけ摘まみ上げ、まだ食べたことのない未知の存在であるプチトマトを恐れた私は、ぎゅっと強く目をつむり口の中へと入れた。

恐る恐る咀嚼をした瞬間に、私の口の中に広がったのはとてつもなく強い酸味、そしてぐじゅぐじゅと水気を含んだ、なんとも気持ちの悪い食感だった。それは幼少期のまだ小さい私の脳みそに「これは人間が食べてはいけない物だ」と強くインプットされた瞬間でもあった。

「全然おいしくない……」

口の中に残ったまま離れないトマトの味に強い嫌悪感を抱きながら、私は目を開く。

すると、私の目の前には赤い色をした球体に手足の生えた、見たことのない生物がいた。

「こんにちはリコ。僕はリコピン星から」

「うわぁあああ!! 気持ち悪い!!」

謎の生物が言葉を言い終える前に、私は突然の恐怖で叫んでいた。

「ちょっと待つピン。まず、自己紹介をさせてほしいリコ。僕はリコピン星から来た『トマティ』だピン」

再び、謎の生物は喋り始める。その生物はトマトに手足が生え、妙に高い声で話しかけてくる姿は、どこから見ても可愛くない見た目をしていた。

しばらくして、落ち着いてきた私は謎の生物へと話しかける。

「なんなんですかあなたは……気持ち悪い……。あと、いきなりこの流れをぶっこむのやめてください。前半の文体が全部崩れるんで……」

「僕はトマティだリコ。あと、幼稚園児が前半の話とか、文体が崩れるとか言うのはやめるピン。僕はただ、トマトの美味しさを伝えに来ただけだリコ」

ごめピン、と言いながらトマティと名乗る生物は、丸い体を斜めに傾けて謝罪の姿勢を見せた。

改めてこの生物から話を聞くと、どうやら「トマトは嫌いだ」と強く思った私に、わざわざトマトの美味しさを伝えにきてくれたようだった。

「だからトマトというのはリコね、グルタミン酸が多く含まれていてピンね」

「さっきから気になってたけど、語尾どっちかにしてもらっていい? 説明が頭に入らないから」

私の言葉にトマティはまた「ごめピン」と言いながら、丸い体を斜めに傾けていた。

状況が全く呑み込めていないままの私は、再度トマティに話を聞こうとしたが、それは突然の男の大声によって、かき消されることとなった。

 

「おい!お前、聞いてんのか!こっちはお客様だぞ!何がうるせぇから出ていけだ!」

 

はっとして周りを見渡すと、そこは喫茶店の店内で、私の目の前には飲みかけのコーヒーが入ったままのコーヒーカップと、近くの席で茶色の髪の毛をした店員に怒声を浴びせている男の客がいた。もちろんそこには、謎の語尾を付けて話すリコピン星から来たらしい、トマティの姿は見当たらなかった。

そういえば私は、大声で電話をしている男のせいで居心地が悪くなり、咄嗟に幼少期のことで気を紛らわせることで、現実逃避をしたかったのだということを思い出した。

しばらくして、怒声を浴び続けられていた店員は、顔色を変えずに流暢な言い方で男に向けて言う。

「大変申し訳ございません。失礼ですが、先ほどからお客様の声が大きく、他の方の迷惑となっておりますので、どうかお帰りください」

毅然とした態度と物言いで店員から帰れと言われた客は、まだ何か言い足りない様子ではあったが、「こんな店二度と来るかよ」と机の上にお金を置きながら捨て台詞を吐いて店の外へと出て行った。その後、店員は始終の出来事を見ていた私たちの方へと振り向き、顔色を変えずに小さくお辞儀をし、机の上に置かれたお金を手に取ると、そそくさとレジの方へと向かって行った。

やがて、明るく照らされた店内にお客たちの賑やかさが戻った頃、なんだか気持ちが軽くなった私は、「やっぱり時には毅然とした態度も大事なのだな」と強く思い、カップの中に残ったコーヒーを一気に飲み干して喫茶店を出ることにした。

「ありがとうございました。またのご来店を、お待ちしております」

ごちそうさまでしたと笑顔で店員に伝えた後、小さくお辞儀をしている店員を後ろにして店の外に出る。気持ちの整理ができた私は、カバンからスマートフォンを取り出し、読んだままで返していなかったメッセージアプリを開き、自分の思いをそのまま入力して送信をする。

 

『別れましょう』

 

少ししてから『ティロン♪』と通知音が鳴り、メッセージアプリを開くと、そこには数年間付き合った彼による返信が届いていた。

『リコ、お願いだ。別れるなんて言わないでくれリコ。俺は別れたくないリコ。お願いだリコ』

「いや、なんかトマティの語尾みたいで気持ち悪いな……」

 

だから私は、トマトが嫌いだ。

 

 

『大人になっても魔法とか超能力とか言うんですか。』をご覧のみなさん。

こんにちは、白瀬 濁です。

 

もう1年が始まって、2週間近く経ったのかと時間の速さに驚いています。

なんて言うか、マジで1日が終わるのが早くて、体感5時間ぐらいしかない気がするんですよね。老いと言う奴なのでしょうか。

というか、真面目に文章を書いてると物凄い時間が経ってて、もう少し手短にブログを書けねぇのかと思いましたが、このブログのスタンスにはいろいろとこだわりがあるので、これからも変わらずにおもくそ時間をかけていこうと思います。ピース、ピース。

 

さて、来週の更新で1月度の更新は終わりになります。

また2月から週1ペースで更新をしていくつもりですが、1月最後の更新はお知らせ回になると思います。

あ、長々とした前置きは変わりません。

このブログのメインコンテンツなので(自己満足)

 

では、またよろしくお願いします。